たんたんのつれづれダイアリー

日々の出来事や思い出などをつれづれなるままに綴っていきます

人生について考える

山の日。母とのんびり昼食を食べていた時に母の携帯に一本の電話が。

大叔母(母方の祖母の妹)が亡くなったと。享年 93歳。

母の叔母に当たるその人のことを私もおばさんと呼んでいた。

大叔母に家族はいない。旦那さんはかなり前に亡くなっている。その後、大叔母のことは息子が面倒をみていたが、その息子も17年前にくも膜下出血で他界している。そして大叔母は息子の死をきっかけに私の実家や祖母の近くの老人ホームに預けられることになったのだ。

一番近い親戚は祖母になるが、祖母は95歳。昨年の夏に4年越しの念願が叶って老人ホームに入った。そんな祖母はひどい認知症だ。実の娘の母のことも孫の私のこともよく分かっていない。最近は異食行為が酷く、自分の洋服の糸を外して食べたりしているようで、洋服の一部がほつれていたりする。だけど、まだらボケだった数年前は物忘れのひどい自分にひどく落ち込んだりしていてそれはそれで辛そうだったので、もしかしたら今の方が幸せなのかもしれない。
そんな祖母には喪主は出来ないため、母が人生初の喪主を務めることになった。

大叔母の体調が芳しくないことは分かっていた。と言っても死因は老衰で、眠るように亡くなったそうだ。
実際、死亡確認のために病院で対面した大叔母は本当に寝ているようにしか見えなかった。

亡くなった人や動物を目の前にすると、いつも決まって高校の現代文で習った志賀直哉の小説、『城の崎にて』を思い出す。
生と死は両極ではなく、生きているものと死んでしまったものには大きな差異はないのではないかみたいな内容だったと思う。
死と対峙する時、私はいつもそのことをひしひしと感じるのだ。

それから母は葬式の手配やらでバタバタとしていた。
人生を全うした人の死且つ事前に心の準備が出来ていたためか泣いたりすることもなく日常が過ぎていった。もしこれが祖母だったらきっと泣いてしまうのは、私との関係の深さが原因かもしれない。

身内もほとんどおらず火葬に立ち会えるのは私の家族四人のみ。そのため、葬式はせずそのまま荼毘に付すことになった。
火葬場に家族四人で向かう。朝一の予約だったため、10個以上も炉があるのに火葬されるのは大叔母だけのようだった。
大叔母が炉に入り火葬が始まった。燃え盛る炎の音が聞こえる中、炉の前に備えられた焼香台でお焼香を行った。
焼かれた大叔母は小さくなって戻ってきた。四人で骨を拾った後、火葬場の方が骨壷に残りの骨をしまう。その作業は実に事務的に行われていて、若干引いてしまった。

全てを終えた時、考えてしまった。大叔母は幸せだったのだろうかと。愛する人とただ一人の息子に先立たれ、葬式にはわずか四人の参列者しかおらず、世界の片隅でひっそりと息を引き取った大叔母は幸せだったのだろうかと。
よく人の幸せは死ぬ直前にその人が幸せだったと思えるかどうかと聞く。大叔母は幸せだったと思っていたのか。他の人からすれば、大往生な訳だし幸せだったように見えるだろうが、実際はどうだったのか。

大叔母がどう思っていたのかは今となっては誰にも分からない。だけど、幸せだったと思っていればいいと思う。
実家に備えられた大叔母の祭壇に線香をあげながら最近はそんなことを思っている。